備忘録的な何か

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宮崎駿氏の川上量生氏に対する批判は妥当なのか?

11月13日の夜くらいからSNS宮崎駿氏の発言が取り上げられて「お祭り」状態となっている。

 

そもそもの始まりは、11月13日に放送されたNHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」で、ドワンゴ川上量生会長が持ち込んだCGを宮崎駿氏が批判したことである。

このCGは人工知能によって効率的な移動を学習させた人型のモデルを動かしているものである。

以下両氏のやり取り。

 

川上氏:頭を使って移動しているんですけど、基本は痛覚とかないし、頭が大事っていう概念がないんで、頭を普通の足のように使って移動している。この動きがとにかく気持ち悪いんで、ゾンビゲームの動きに使えるんじゃないかっていう、こういう人工知能を使うと、人間が想像できない、気持ち悪い動きが出来るんじゃないか。

宮崎氏:あのう、毎朝会う、このごろ会わないけど、身体障害の友人がいるんですよ。 ハイタッチするだけでも大変なんです。彼の筋肉がこわばっている手と、僕の手でハイタッチするの。その彼のことを思い出して、僕はこれを面白いと思って見ることできないですよ。これを作る人たちは痛みとかそういうものについて、何も考えないでやっているでしょう。極めて不愉快ですよね。そんなに気持ち悪いものをやりたいなら、勝手にやっていればいいだけで、僕はこれを自分たちの仕事とつなげたいとは全然思いません。極めて何か、生命に対する侮辱を感じます。

川上氏:これって、ほとんど実験なので。世の中に見せてどうこうと、そういうものじゃないです。

宮崎氏:どこへたどり着きたいんですか?

誰か氏:人間が描くのと同じように絵を描く機械

宮崎氏:地球最後の日が近いって感じだね。人間のほうが自信なくなっているからだよ。

 

このやり取りを見て率直に思ったのは、

「宮崎氏は何を言いたいのだろうか」

ということだった。

 

生命に対する侮辱って……

 

何が何でも言いすぎなのではないだろうか。

人型の気持ち悪い動きをするものは、もれなく生命に対する侮辱になるのだろうか…

そんなのホラー映画とか全部アウトになるような気がする。

 

川上氏が生命を踏みにじっている、という批判にもとれる宮崎氏の発言だが、こちらもすこしピントがずれているような気がする。

 

川上氏が興味を持っているのは、気持ち悪い動きに対してではなく、人工知能が気持ち悪い動きを能動的に獲得したということに対してである。(おそらく)計算知能的アルゴリズムで学習された動きが人間の動きと等価にならないこと、また、その獲得された動きが人間の常識から大きく外れていること、この二点に関して興味を抱いているはずである。

 

このような動きをした理由は簡単で、モデル自身が思考して動いていないからである。操り人形のように、計算機が支持する通りモデルは動き、計算機は手足をどのように動かすかを知らないから、当然操り人形は人間が想定していない動きを取る。

 

当然そこには何の意識も存在しない。計算機からすると「このモデルを効率的に動かして」と支持を受けたから、自分なりに「効率的に動かした」だけである。

それだけ。

計算機が獲得した動きが、決して人間がイメージできないものであるから、面白いのである。

 

生命に対する侮辱っていうのとは、ちょっと違う。てかだいぶ違う。

 

技術云々ではなく、映像そのものがよくない、という批判があるかもしれない。しかし、あらゆるメディアはテクストを持ち、それをどう解釈するかは人それぞれである。

たまたま宮崎氏が身体障碍者の友人を連想し、受け入れられないといった解釈を行っただけである。

よくSNSなどで見かける、件のCGのテクストをそのように解釈できない者は人としておかしい、という論調は単なるテクストの押し売りである。

 

話がそれてしまった。気になる人は「テクスト論」で調べてみてください。

 

そもそも「人工知能」という学問は人間の脳の動き(知的活動)を解明するために始まった学問である。解剖学的なアプローチではなく、情報処理というアプローチから始まった「脳の解明」は、同様の働きをするモデルを作成したら解明したことにつながるという発想からスタートした「人工知能」と、徹底的に脳の認知を観察することで解明につなげようとする「認知科学」の二つの分野に分かれている。

 

したがって、どこへたどり着きたいのか、という問いに対して「人間が描くのと同じように絵を描く機械」を目指すと答えるのは全く間違いではない。

 

むしろそれに対して、人間のほうが自信なくなっているからだ、とコメントを残すほうが検討違いである(宮崎氏の専門ではないので仕方ないことかもしれないが)。

 

そんなコメントを残されたら人工知能研究者たちは自分に自信がない人間の集団になってしまう。それはよくない。

 

 

さて、ではなぜ宮崎氏はこのような感想を抱いたのか。

 

一番単純な理由としては、川上氏の説明が悪かった、というのが挙げられるだろう。気持ち悪い動きをさせるのが主眼ではないのに、気持ち悪い動きを強調しすぎである。気持ち悪い動きを作って喜んでいると思われかねない。

そりゃ、宮崎駿氏の作品とは正反対のものを作って目の前で発表されたら不愉快にもなるわさ。

 

……これでほんとに川上氏が気持ち悪い動きに対して喜んでいたらどうしよう…

 

もう一つ考えられるのは、宮崎氏はもともと人工知能が嫌いなのではないだろうか。

多くの人間は、心が存在しない人工知能に創作活動は不可能だ、と考えている。私自身も、不可能とは言わないが、仮に実現されるにしても私が生きている間に実現されるとは思えない。

宮崎氏もおそらく、人工知能に創作活動は不可能である、と感じているのではいだろうか。だからこそ、人間のほうが自信なくなっている、という発言が出てくるのではないだろうか。

 

当然私は宮崎氏本人でもないし、エッセイやインタビュー記事といったものをまともに読んだことがないので、推論ばかりになってしまい申し訳ないのだが、彼は創作活動=人間である証明と捉えているように感じる。

 

人一倍クリエイターとして誇りを持っているからこそ、クリエイターの模倣をしようとする人工知能に対して批判的になるのかもしれない。

 

 

今回の感想:プレゼンって大事だなぁ